武生神社社殿


本社の北西に山あり、これを本宮と云う。神武天皇の頃、大戸道尊がこの山頂に降臨され、大宝元年(701)、役小角が神霊を武生山上に遷祀、社殿が創建されたのが大同元年(806)3月1日と伝えられる。

大同元年征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州征伐の際、武運長久を祈願して、やぶさめの神事を奉納した。この神事は明治生まれの人の話では近年まで行われていたという。

永正7年(1510)、滝生山明王寺が建立され両部神道の道場となり、後に僧侶が奉仕するところとなったが、元禄九年徳川光圀公の命に依り南窓院配下良風を修験職の旧に復し、武生山飯綱大権現と称し大音院が別当職として明治の神仏分離布告まで続いた。

社殿は天明六年二月二十八日遷宮



宝剣洞展望台

明山(武生地区ではところぶ山)が正面に見える。谷間が雲海のようになっているときもあります。


宝剣洞の岩屋

洞はほらあな、木のあなの意味ですが、ここで昔は修験道の修行をしていました。奥には木の仏像がありましたが、腐食してなくなってしまっています。かっては宝剣が奉納されていたかもしれません。また、ここに小屋があり古文書を保管していたことがあったそうですが、1960年ごろは小屋だけがありましたが、もう保管できる状態ではありませんでした。手前の大木にも山の神様の木の洞があります。